お侍様 小劇場

    “初秋のとんだ判じもの?” (お侍 番外編 66)
 

        


 暦の上ではとうに秋とは言え、まだまだ残暑が厳しい九月の初め。この時期の朝の家事の手初め、窓を開けて空模様を観、洗濯機を回し始めつつ、陽による暑さが大気を満たす前にと庭先に水をまく。朝食の準備は、下ごしらえが万端なのと、

 「久蔵殿が、まだお弁当は要らないとのことなので。」

 さほど焦らずに済むらしい島田さんチのおっ母様。水を得て、青々しい香の強まった生け垣越し、お隣りの凄腕エンジニアさんへと笑いかけつつ、そんな風に言うものだから、
「でも…今頃といえば、体育祭や文化祭の準備とか、まだ始まってないんですか?」
 そうそうのんびりしてもいられないのではと、まだまだお若いせいで記憶に新しいことだからだろう、おややぁ?と感じたそのままを訊いてきた平八で。すると、
「体育祭は俊足を生かした徒競走が3本と、もう出場種目は決まっているんですって。」
 リレーや応援団なんていうのへ関わるなら練習も要りますが、そうじゃないので早上がり出来るんですって。そうと応じた七郎次、

 「それで、文化祭の方は…あのですねぇ。」

 ここで少々声のトーンを落とした彼だったのは、微妙な近さで、その久蔵本人が竹刀での素振りに勤しんでいたからで。起きぬけとは思えぬ玲瓏な横顔も冴え渡った剣豪さんへ、聞こえればどれほど支障のある話かと思いきや、

 「クラスの演目として、
  何でも殺陣が出てくる寸劇を予定しているそうなんですよぅ。」

 久蔵殿をどうしても舞台に引っ張り出したい一派があるそうで。寡黙な剣豪という設定なので台詞はなし。人の話を聞いておるのかという、ややマイペースで不遜な態度をとる設定のお武家様なんで さほどの演技もなし。ただ、クライマックスに悪人との切り合いのシーンがあるので、そこで活躍してもらうのだとか。

 「それって何だか、お見事に剣劇部分だけの役なのですね。」
 「みたいですvv」

 一応はお話の中の“見せ場”なんでしょうから、台本を書くお人が大変そうだが、観に行く立場としては楽しみでしょうがないと。やっぱり久蔵フリークな七郎次としては、今からわくわくしている模様。涼しげな青をたたえた目許をたわませ、はんなりとやわらかに、そりゃあ嫋やかなお顔で微笑っておいでのおっ母様の肩の向こうで、黙々と竹刀を振る青年の痩躯を見やりつつ、

 “こうまで期待されてちゃあ、久蔵さんもイヤだとは言えないでしょうしねぇ。”

 内緒ですよなんて構えた七郎次だが、案外と久蔵は…海面下でこうまで話が進んでいるという事態、既に知っているのかもしれない。だってちらともこちらを見ないなんて、却って不自然だったらありゃしないと、そうと気づいた平八も、なかなかの観察力であったりし。こたびばかりはクラスの皆様の作戦勝ちでしょうかと、平八までもが苦笑する。

  …というように、

 気さくなお隣りさんとの垣根越しのご挨拶は、これでなかなか話題も豊富。勿論のこと、ごくごく普通の気候の話もいたします。あまり汗をかかない印象のある久蔵が、目にでも垂れたか、手を止め、タオルで顔を拭っているのへと同時に目が言ったお二人さん。
「朝晩は涼しくなって来たのですけれどねぇ。」
「ですよねぇ。でも、まだまだ蚊だって沢山いますしねぇ。」
「あ、もしかしてウチからそちらに飛んでってるのでしょうか。」
 気をつけちゃあいるのですが、植木鉢の水受けなんかにもボウフラは沸きやすいって言いますし、ウチにはそういう鉢も幾つかありますから…などと。相変わらずの気遣いを見せる七郎次へ、
「ああ、いえいえ、そういうんじゃないと思いますよ?」
 平八が何の何のと手を振った。そういう規模のささやかな“水たまり”なら、ウチだって洗車用のバケツとか、うっかり水を切らないまんまなのが、幾つか裏手にありますからね。間近いところのそういうのの方が危ないと、ご案じめさるなとの言葉を足してから、

 「それよかシチさん、よかったら今日は私と“でえと”して下さいませんか?」
 「は?」

 こらこら、そんな物騒なお言いようを、こちらのお宅の庭先なんてな危険地帯で口にしたらば、

 「〜〜〜っ。」
 「おや、久蔵殿。素振りは済みましたか?」

 ほ〜ら。さっきまでの黙んまりな態度とは打って変わって、こればっかりは知らん顔なんて出来なかったか、竹刀片手の次男坊が割り込んで来ましたぞ、と。
(笑) だがだが、さすがはお付き合いの長い平八さん。そのくらいは織り込み済みだったのか、年齢不詳の童顔が 尚のこと取っ付きやすくなる、にっこりというえびす顔はみじんも崩さぬまま、

 「ああ、そうそう。久蔵さんも時間が合うようならご一緒にいかがです?」

 そんな一言を付け足したもんだから、

  「はい?」「…?」

 金髪白面の麗しいところまでが似た者母子、揃ってひょこりと小首を傾げて見せたのでありました。




          ◇



 「ヘイさんたら、
  カンナ温泉センターのご利用券を夏の福引で当ててたの、
  うっかり忘れてたそうなんですよ。」

 それの有効期限が何と今週いっぱいで、ちゃんと五郎兵衛さんとも先週出掛けたものの、あと1回分が余っているのをふいにするのは勿体ない。1回分が家族4人までとなっているので、どうですかとお誘い下さったんですよね。
「ヘイさん自身も、次の路販車の依頼があって、明日の打ち合わせ以降、資材集めから何からという集中作業に入ってしまうんで、運べるとしたら今日しかない。何ならチケットごとお譲りしましょうかなんて言われたんですが、どうせなら大人数で出掛けるほうが楽しいですし、そもそもの持ち主さんが行かなくてどうしますかと。」
 そこで、今日、久蔵が学校から帰って来らば3人で出掛けるのだという予定がいきなり立ってしまった島田さんチの家人の皆様であり。

 「カンナ温泉センターといえば。」

 真っ白いシャツを目映く照らす朝の陽光の差す中、窓辺のソファーで新聞を読んでいたのを中座した勘兵衛が、呼ばれるままについたテーブルには。ジャガ芋とタマネギのお味噌汁に、モヤシとホウレン草をさっと湯がいて水気を絞ってのち、あっさりと煮びたしにした付け合わせと、メインは甘塩鮭のムニエル風。お新香にはたくあんを添えた、今朝は和食で整えられた朝食が家人の皆様をお待ち兼ねしており。ふんわりとよそったご飯を配りつつ、
「ええ、先月にもみんなで運びましたスーパー銭湯です。」
 七郎次が嬉しそうに応じて見せる。勘兵衛が何とか盆休みもどきを算段してくれたので、久々に家族3人でと夏休みのお出掛けをした、近郊にある大きな保養施設のことであり、

 「久蔵殿が背中に作って隠していた、大きな打ち身を見つけたんでしたよね。」
 「〜〜〜〜。////////」

 唐突に蒸し返されて、お味噌汁を危うく噴きそうになった次男だが、練習で竹刀でぶたれたとかいうものじゃあなくて、何かを避け損ねて柱にでもぶつけたらしいと、見ただけで断じた七郎次の千里眼も大したものだった。
『だって、あんな長い竹刀がありますか。
 しかも力もほぼ均等にかかってたようですし。』
 どこの鑑識班にいたんでしょうか、おっ母様。
(おいおい) さすがにこんな急な話では、ご当主様もご一緒という訳には行かない。それでなくとも、ここ数日、休みも返上の出勤が続いているほどで。とはいえ、

 「夕飯の支度にはちゃんと間に合いますので、勘兵衛様もお気を遣わず。」
 「うむ。」

 ばたばた忙しい午後になるのじゃあないかと気遣わせる前に、仄めかしじゃあなくの いっそきっちり言いおくようになったのは、ここ最近になって見せるようになった対処であり。これが以前の七郎次だったなら、何かというと自分の胸のうちに秘めてのこそりと算段をし、自分に非があってのことですと持ってゆくような手ばかり打っていた。例えば、こたびのような場合なら、疚しいことじゃあないにも関わらず、お出掛け自体を隠し通したことだろて。

 “いかに はしゃいでおるか、であろうか。”

 なんの、勘兵衛は仕事だというに…という方向での負い目にしないでいてくれるのは、むしろこちらも喜ばしい。しかもしかも、言の葉へとのせた直接的な気配りに終わらず。久蔵へと向けて、勘兵衛が実はそういうことを考えてくれる人なんだよと、間接的に告げることとなる言い回しでもあるところが奥が深い。さっそくにも、

 「……。」

 ふぅ〜んという感心の気色が交じった視線が次男坊から飛んで来たので、それと気づいた勘兵衛ではあったが、

 “言うた本人、どこまで自覚があるのやら。”

 あ、そうでした。微妙な天然さんでもある七郎次さんは、深い意図を持たないまま、そういう言いようなさってるときもあるんでしたね。お作法通り、背条伸ばして黙々とお箸を進める次男坊や、あまり羽目は外さぬ限りで、それでも楽しい話を振ってくる七郎次。そんな家人らへ和んだ眸を向けながら、普通の家庭では在り来りなそれであろう団欒の図、自分にも授かるとはありがたいことよと、しみじみと噛み締めてしまう家長殿であったりするのである。さては…、

 “先週は現地のグリッシーニとかいう乾パンもどきのみで3食過ごしつつ、
  配線這わした内装の裏で、
  物音立てずに数日張り込むなんていう任務についておったし。”

 あ、やっぱり。グリッシーニということは、イタリアでしょか。愚痴の段階じゃあ地味な務めに聞こえまするが、勘兵衛様が現地へ出張ったというならば、国家存亡が関わりそうな大物がらみの一大事に違いなく。そうは見せねど…大変なんですねぇ、お務めの方も。
(苦笑)


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